本日も雨

起きたこと、思ったことをダラダラと書き綴るだけ

昔の記事を読むとエモーショナルな気持ちになるよね。

題名、そのまま。

パソコンを買って自分の気持ちをつらつらと書いていた頃の自分が読んだら半信半疑だと思いますが、今0歳6ヵ月の娘と実家に住んでますよ~~(ダブルピース)

 

なんで実家にいるかというと、夏に新居が建つまでの間、居候してます。

船乗りの彼とは結婚して、去年まで2年の本社勤務を経て今は航海中よ。

 

あんまり驚いてないかな?うん。だって想像してた通りだもんね。

でも、彼とそのまま結婚して、コロナがちょびっと明けた頃に結婚式を挙げて、子宝に恵まれてマイホームも建設中、育休を無事取得してるって、想像以上じゃない?

物事が着実に進んでる(もちろん細かくみれば大変なことはたくさんあったけど)っていうのは、自分の周りの方々、置かれた環境が恵まれていることと、吹いてきた風に感謝しないとね。

 

それと、なんだか体重のこと気にしてる記事もあったけど、大丈夫。結婚式で12㎏痩せれるから。でもストイックなダイエットすぎてすぐ5㎏リバウンドするよ。そして妊娠・出産したら、調子に乗って甘いもの食べ過ぎて、産後過去最高体重になるよ。

 

それが───今です。

165㎝73㎏だよ^^

 

やばいよねーー。さすがに。いつまで体重にとらわれてるの?って感じだけど、多分これは一生だし、普通に身体が重い笑。

もちろん産前の身体には戻れないのは百の承知で、今日、エアロバイクをぽちったわけ。ほんといつまで経ってもめちゃくちゃ形から入る人間だよね。

 

そんで、じゃあどうせやるなら記録したほうが面白いかな、と思ってはてなブログにログインしました。(どうせ三日坊主のくせに)

 

とりあえず、これまではストイックにやりすぎてリバウンドっていうのを何度も何度も繰り返してきたから、ひと月2㎏減れば万々歳かな、という気持ちで始めたいと思う。

 

内容は、エアロバイクとあすけんで食事をレコーディング。

無理せず”ストイックにならないように”やっていこうと思う。

 

ちなみになんでエアロバイクをしようと思ったかというと、育児で腰をやってしまったから。そして、娘がいるから。これまでみたいに外に走りに行ったり、市民プール行ったり、ジムには行けないなと。

 

 

…母だよねぇ~~~~~。

 

母、のんびりダイエット頑張ります。

 

 

 

食費を抑えられない

痩せたいと思って筋トレや有酸素運動をしているのに

結局たくさん好きなものを食べていてプラマイゼロ

むしろプラスになっている。

食べちゃうのは仕方ないとして、それが自分と受け入れるとしても

食費として数字に出てしまっているのはきつい。

お弁当作っても結局コンビニと変わらないような内容の

メニューを作っていたり、

週に一回くらいはランチは外で食べたいなと思って

好きなものを食べに行ってたりする。

(お弁当作ってるのに)

それくらい私の中で食は大きな割合を占めていて

それを抑えるということ自体がかなりストレスに

なっているということに最近気づいた。

 

さいころや実家にいた時、コンビニのご飯や駄菓子屋

インスタント食品、お菓子に関して否定的に言われていて

その反動で大人になってから自分の自由なお金と時間を

手に入れて欲が爆発したように思える。

食べたいと思ったものは胃腸炎になるほど食べてしまうし

貧乏舌なのでなんでも美味しく感じるし

一度食べてしまったら止まらない衝動に駆られる。

最近ダイエットをしていたので、多少その影響もあって

過食症ぎみになっているのかもね。

 

今は明日何を食べようか考えていた。

既製品やインスタント食品の気分ではないので

一人で鍋でもしようかなと思っている。

あと、ローストビーフを作ったことがないので

作ってみようかなあと思っている。

 

前までは、食べ物のことばかり考えて、食べ過ぎてしまう

自分に罪悪感を抱いていたけど

最近はその分動いて脂肪を燃焼すればいいし、

好きなものを何も気にせず食べれる環境サイコーと

自分を受け入れるようにしてる。

その方が私の人生幸せ。

 

早く明日にならないかな?

まだ20時だけど、早く寝よーっと。

結局顔

結局顔じゃんって飲みに行くたび思う。

こうやって書くとじゃあ自分はかわいい顔になったらナンパされまくりたいんか?とも思うが、なんやかんや結局かわいい人やかっこいい人は得をするし、その後幸せになれるかどうかなんて知らないけど、結局顔がいい人が得するんだって実感する。

 

別に誰かに直接ブスと言われたわけじゃないし、贔屓されたわけじゃないけど

同年代の人が集まるような場所に行った時には、絶対顔で判断されるし、仮に友達になれたとしても、顔がよくないと友達として関わることすらできないことがよくある。

 

逆に言えば、自分がそう判断しているってこと?

顔が全てだと自分が思っているから、自分もそうやって考えるってこと?

 

わかんね~~~~~~~?????

 

免許証の更新に行った

今日は免許証の更新に行った。

何か月ぶりかにフルメイクをして、髪の毛にアイロンをかけて、それなりの洋服を着て家を出た。

帰りは、カフェに寄って勉強しようと思ったけど、歩きすぎて疲れたのと、目当てのカフェの場所がわからなかったのと、その代わりに行ったカフェが昨日から臨時休業していたので、結局そのまま家に戻ってきてしまった。

免許証の更新では顔写真を撮るが、びっくりするくらい変な髪形になってしまった。せっかく初めて手にしたゴールド免許、この変な髪形で5年間いないといけないのはきつい。慣れない髪形なんてするんじゃなかった。私はいつもこうやって空回りする。

結局勉強もしなかったし、変な髪形の新しい免許証を手にしたけど、こんな日もあってもいいかなと思う。いつも、あれやろうこれやんなきゃと思っている気がするから、今日はもう何もしないで好きなことだけすりゃいいや。

今日はそんな気分。

船乗りと生きてゆく

昨日9月12日は自分の誕生日だった。

一人で家にいるのもなんだかなと思い実家に戻り、お祝いしてもらった。昼は鰻を食べに行って、買い物もした。友人からもお祝いメールが来ていて、本当に周りに恵まれているなと実感する誕生日だった。

でも一つだけ、彼氏からの連絡がなかった。

厳密に言うと、電波がなく連絡が取れなかった。私の彼氏は船乗りなのである。

今は外航船に乗っているので、連絡が取れないことは珍しいことではなかった。でも、期待してしまった。そして運悪く、丸一日連絡が取れないというのは一か月に1.2回くらいだったのだが、何故かピッタリばっちり、ちょうど電波のない海域?にいたようで、9月12日だけピンポイントで連絡がなかった。

 

頭ではわかっていた。連絡が取れなくても、私の誕生日を忘れているわけじゃないし、あっちだって連絡ができなくてきっと歯がゆい思いをしているだろう、明日か明後日になれば連絡がくるだろうと。

でも、年齢は26歳になっても、生粋のネガティブ思考はなかなか治らなくて、どうしても悪い方向へ考えてしまう自分に支配されていた。

私の誕生日を忘れちゃったんだ、誕生日すら祝ってもらえないないなら、船乗りなんて辞めてほしい。(人のせいにする、最悪。)とかね。今考えると、お前は何を言っているんだ?と本気で思う。

 

結論から言うと、13日の夜中3~4時に、電波がなくて遅れなかった、遅れてごめんね、おめでとうと連絡が来ていた。朝それを見て、嬉しいというよりも、安心という気持ちが先に出た。

 

私はたまに、昨日の自分にびっくりする。びっくりするというより、ドン引きする。感情の振れ幅が大きすぎるから。あまりにも性格が違いすぎるから。違う人間のように思えるから。

昨日は、一日中泣いていたといっても過言ではないくらい、泣けと言われたらすぐ涙が出て、ずっと気持ちが沈んでいた。世界が暗く見えて、自分以外の人間が楽しそうに見えて、誕生日なんてなくなってしまえばいいと結構本気で思った。もちろんそんな自分が嫌だから、気をそらそうと動画を見たり、本を読んだりしていたが、基本的には悲しさが胸の中にあって、ほぼ何も手がつかない状況だった。連絡がこないっていうだけで。しかもわざとじゃないのに、仕方ないのに。

でも今は、元に戻っているというか、もはやどっちが本当の自分かわからないけれど、普通に自分の好きなことに集中できる、ノーマルな自分がいる。

 私はなにか問題があったとき、こうなることが多い。心配なことや嫌なことがあるとそのことばかり考えてしまう。仕事でも、プライベートでも。

よく、考えても無駄だから考えることをやめる、という言葉や行動の方法があるけれど、昔からそれができなかった。その嫌な自分が、26歳の誕生日に現れてしまったのだ。

 

彼氏とは、7年の付き合いになる。学生の時から付き合っていて、おそらく結婚するだろう。学生のうちから、彼が将来船員になるということはわかっていたし、特に反対することもなく、当たり前のように思っていた。

そして1年前同棲を始めて、お互いの仕事もそれなりに慣れてきて、喧嘩はもちろんするけれど、本気で破局するような大きな出来事はなく、過ごしてきた。

船乗りの彼女、もしくは妻になるということに関しては、覚悟したつもりだった。覚悟というか、もうそれ以外では考えたことがなかった。だから、長い時間会わないのは当たり前だし、連絡だって取れなくなる可能性だって加味して一緒に何年も過ごしてきた。

でも、昨日のようなことがあると、自分に自信が持てなくなる。本当に大丈夫なんだろうかと。

私の理想の妻の姿は(気が早いが)

・健康

・趣味や好きなことがたくさんある

・勉強家で仕事熱心

・前向きでめったに泣かない

というもの。心の拠り所、依存先がたくさんあって、自立している女性。

ノーマルな時の自分はこの理想像に近いと思う。めったに泣かないというはまだ当てはまってないが(映画、ドラマですぐ号泣する)この理想像に向けて、一つずつ行動しているというのは事実だ。

でも、昨日のようなネガティブな自分が出現してしまった時、この像とは正反対の人間になる。そして、それを自分で自覚するも、立て直すことができない。そうなってしまった原因が発生している相手からなにか一つでも働きかけがあれば、嘘のようにすっかり治ってしまう。そもそも、原因が発生しているって考えている時点で、人任せなんだよね。

結局のところ、それって自分で自分をコントロールできていないということで、どうすればいいのかがわからない。時間が解決するのか、全く違ったやり方で解決することができるのか、わからない。 

 自分以外の誰かに依存するということは、たしかに簡単で心地いいし、幸せを感じやすいけれど、同時にとても脆くて、辛いことの方が多い気がする。相手は一人の人間だから。自分と同じじゃないから。

 なかなか難しいことだけど、自分に自信を持つ、自分を大切にするということがやはり一番自分の幸せに繋がると本当に思う。人によっては、薄っぺらい言葉に聞こえるかもしれないけれど、こうとしか言い表せない。

そのために、なにをすべきか、なにができたら自分に自信が持てるか。それを追求して日々を過ごしていきたい。そしていずれは、ノーマルな自分とネガティブな自分が一緒になって、私という人間が形成されたらいいなと思っている。

 

 

 

偏見

私はもしかすると自分で気づかないうちに、偏見の塊人間になっていたのかもしれない。

 

たとえば、カレンダー通り九時五時で働くことが一番幸せ、仕事ばかりよりも休みがたくさんあったほうがいい、いい大学を出ている人はすごい、デキ婚はしたくない、太っていたら痩せなきゃいけない、など…

 

ざっと挙げるだけでもこんなに出てくる。

もちろん、これらは自分の中で存在しているだけで、実際に会話の中でこの中のことを話すときは「別にデキ婚でもいいよね」とか「シフト制だと平日が休みになるから遊びに行きやすいよね」とか言ったりしている。すごい気持ち悪い。

 

学生の時、バイトでシフト制で働いたことはあるけど、正社員としてシフト制で働いたことはないくせに(そもそもこの正社員がいいって思ってる時点でもアウト)バイトの経験だけでカレンダー通りが一番幸せって勝手に思いこんでるわけだし、いい大学でたからって、その人がすごい人かどうかなんてわかんないし(もちろん素晴らしい人もいる)自分が楽しいと思えることなら、休みの日にぼーっと過ごすより休まず働いているほうがずっと有意義な時間が過ごせて、人の役に立てて、かつお給料が発生するなんてwin-winで最高だし、そもそも結婚も妊娠もしたことないくせに、なんでデキ婚がよくないとか考えちゃってんだろ。きも。

 

私は偏差値50の公立高校を卒業して大学受験して都内の偏差値50の大学に行って、そのままストレートで卒業して都内の企業に就職したいわゆる敷かれたレールにガッツリ乗って、一度も降車せずに人生を歩んできた超が付くほどの普通人間だと思っていた。でもそれって「普通」とかいてある浴槽に、偏見という液体を入れてどっぷり浸かっている状況で、無意識に洗脳されているだけなんじゃないか。どゆこと?笑

 

これが例えば、自分が楽しいと思える仕事に就いて、シフト制で朝から晩まで働いて、結婚して妊娠もして、全て経験したあとに死ぬ間際に、上に挙げたような人生の方が自分に合ってたって思えるなら話は180度変わってくるし、そもそもこんなこと考えないと思う。

でも実際にはこのようなことは経験したことはないし、一番最悪なのは「経験しようとは思っていない」ってこと。つまり、はなからそういうことはするつもりはない(したくない)けど、そういう偏見が自分の頭にこびりついているってこと。

 

私は海外ドラマをよく見るし、洋画もディズニーも好きだから、「自分らしさを大切にしよう」とか「差別や先入観を捨てて相手を尊重しよう」ってのには慣れていて、自分は差別をしないし、相手を尊重できる人間だと思ってた。

でも、こうやって実際には「こうしたほうがいい」とか「一般的にはこうだ」とか自分の頭の中にデカイ偏見が住み着いていた。

つまり、周りやネットの意見ばかり耳を傾けて「一般的な意見」を固めて「偏見」を日々バージョンアップしているから、自分の意見やブレない軸、自分らしさなんてないってこと。海外ドラマや洋画、ディズニーで耳にタコができるくらい聞いたセリフとは真逆の思考回路が形成されている。

だから、なにか決断する時や悩み事があったとき、私は自分がどう思うかよりも先に、ネットを開いたり友人に聞いて、周りの意見で物事を判断して、大多数が賛同あるいは大多数の平均値を頭に叩き込んでから、それを元に結論を出している。これに今まで気づかなかった自分が恥ずかしいし、なによりゾッとする。怖い。

 

話が少し逸れてしまうが、私はすぐ嫉妬をする。それがたとえ知らない人相手でも。人に嫉妬しているなんて思われたくないから、そう見られないようにしているけど。

本当に醜い感情だと思う。嫉妬のエネルギーを自分のやる気に変える、とか言う人もいるけど、そんな感情じゃない。ただの嫉妬。自分よりいい思いをしているように見えるから(あくまでも私視点でそう見えるだけ)羨ましくて嫉妬する。

この嫉妬って偏見と強く結びついていると思う。自分に持ってないもの、手に入れられないもの、その人がどんなに努力したのかも、裏でどんな辛いことがあったのかも露知らず、私は相手に嫉妬をする。それは、こうあるべきだっていう偏見を基に考えているから。自分の軸をもって、本当の意味で私は私って思えていないから、相手が「基準」よりも幸せな思いをしているように見えると私は嫉妬をする。

だから正直言って結婚式に出席することが苦手だ。どんなに仲のいい人、自分の人生には特に影響のない人の結婚式でも、自ら進んで行きたいとは思えない。もちろん、実際に結婚式に出席した時はそんな素振りは絶対に見せないし、むしろ逆に、その瞬間は祝福できる。目の前のことに集中していればいいから。でもその前後、いやな感情が自分の中で生まれる。本当にそんな自分が嫌いになる。そしてこんなこと絶対に人には言えない。

 

ではこの偏見の塊をどうやって溶かしていくか、が重要になってくる。

いくら見た目を「自分らしさ」で固めても、思考回路に自分軸がなかったら、それは自分らしさじゃないし、周りの考え方が変わればその自分らしさなんて一瞬で崩れ落ちる。

偏見のぶっ壊し方なんて、ググっても出てこないし、そうやってまたインターネットに頼っちゃうのも本末転倒な話なわけで。

まずはこれから生まれる問題や悩み、出来事に対して、まずは自分の中には偏見があるっていうことを前提に考えるようにしようと思う。一度そうやって考えてみて、今までの方法でだした結論と比較して、本当の自分の意見を探し出していく。

 

自分がどう思うか、周りのことは考えずに、自分が小数派でも気にしない。

 

あれ?このセリフ何度も聞いたことあるな?

私は今までこのセリフの本当の意味を考えず、理解した気になっていたのかもしれないな。

 

 

 

 

携帯を忘れた

朝家を出て自転車に乗った直後、携帯を忘れたことに気づいた。

取りに帰ったら間に合わない絶妙な時間だったので今日は半日携帯がない生活だった。

 

結論から書くと、ないほうがむしろ快適だった。

いかに毎日携帯に憑りつかれてたんだなと実感した。

たしかに大事なメールや連絡が来ていないか心配になることはあったけど、別になかったし、電車の中もいつも携帯をいじっていて、逆に何をしているのかも思い出せないようなことをしていて時間を無駄にしていたんだなと思った。今日はなぜか英単語帳を持っていたのでそれをやっていた。なんで携帯はなくて単語帳はあったんだろう…笑

 

たしかに携帯があると、時間はいくらでもつぶせるけど、そのつぶした時間のことを考えると後悔することが多かったと思う。ああもうこんな時間になっちゃったって。

それならもちろん英単語を一つでも覚えたほうが得な気持ちになるし、勉強するやる気がなくてもこうやって思ったことを適当にでも文字にしていることのほうが有意義なんじゃないか、と思ってしまった。

 

たまには携帯を不携帯する日もあってもいいな、と思った一日だった。